大判例

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仙台高等裁判所 昭和24年(ナ)5号 判決

原告 大宮芳郎

被告 宮城県選挙管理委員会

一、主  文

被告が昭和二十四年四月十三日訴外相沢米三郎の訴願についてした「玉浦村選挙管理委員会の決定はこれを取り消す、当選人大宮芳郎の当選はこれを無効とする。」との裁決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

二、事  実

原告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、その請求の原因として、

一、原告は昭和二十三年十一月三十日行われた宮城縣名取郡玉浦村農業調整委員会委員の選挙において当選した。

二、しかるに訴外相沢米三郎は、「右農業調整委員の被選挙権の要件として、一反歩以上の耕作の業務を営む者であることを要するにかかわらず、原告は一反歩以上の農地の耕作者でないから、被選挙権を有しない、從つてその当選は無効である。」として玉浦村選挙管理委員会に異議の申立をし、同委員会はこれを却下した。そこで同人は更に被告に対し訴願したところ、被告は右訴願を容れて昭和二十四年四月十三日玉浦村選挙管理委員会の決定を取り消す、原告の当選は無効である旨の裁決をした。

三、しかしながら、原告は昭和二十三年十一月三十日行われた玉浦村農業調整委員会委員の選挙当時においては、田一反歩以上を耕作していたものであつて被選挙権があつたのであるから、被告の裁決は不当である。即ち玉浦村においては食糧確保臨時措置法施行令第一條第一項但書の規定による別段の面積の定めはないからして、一反歩以上の耕作者は右選挙について選挙権、被選挙権を有するのであるが、原告は昭和二十三年三月、兄大宮芳雄方から別居し、爾來訴外阿久津某の所有であつた宮城縣名取郡玉浦村大字下の郷字南間堀七十三番の二田一畝三歩、同字八十六番の二田一畝九歩、同字百二十六番の二田一畝十六歩、同字百七十五番の一田十九歩、同字百八十三番の二田一畝十四歩、同字二百二十五番の二田二畝三歩、同字二百三十三番の二田一畝二十七歩、同字二百四十一番の二田一畝十五歩、同字二百五十四番の二田一畝十七歩、合計田一反三畝三歩を自ら耕作し独立の生計を営んできたのである。しかも右田地はその後自作農創設特別措置法第十六條の規定により原告に賣り渡され、昭和二十四年度からは原告においてこれを自作しているのであつて、ただ昭和二十三年度分の供出米は兄芳雄の名義で供出したに過ぎない。以上の次第であるから前記裁決の取消を求めるため本訴に及ぶと陳述した。

被告代理人は「原告の請求を棄却する。」との判決を求め、答弁として原告の請求原因第一、二項は認める、第三項中玉浦村において食糧確保臨時措置法施行令第一條第一項但書による別段の定めがなく、從つて一反歩以上の耕作者は農業調整委員会委員の選挙につき選挙権、被選挙権を有することは爭わないが、その余の事実は爭う。仮りに、原告が本件選挙当時田一反歩以上の耕作に從事していたとしても、原告は食糧確保臨時措置法第十四條にいうところの「耕作の業務を営む者」ではないから、該委員の選挙権及び被選挙権を有しない。從つてその当選は無効である。即ち右に「耕作の業務を営む者」とは、耕作の結果が経済的に直接帰属する経営主即ち世帶主をいうのである。同法は、公正且つ計画的に主要食糧農産物の生産及び供出の数量の割当を行う目的で制定されたのであるから、その農業調整委員会の委員の選挙権及び被選挙権の資格者を供出命令を受ける供出義務者たる世帶主に限つたのである。しかるに、原告は昭和二十三年には独立して生計を営む世帶主でなかつたから同年度の供出割当もなく、供出もなかつたし、同年度の肥料の配給も受けなかつた。それで仮令一反歩の田地を耕作したとしても、それは耕作の業務を営む者即ち経営者ではないから右委員会の委員の被選挙権を有しなかつた。原告が耕作したという本件田地は、もと原告の兄大宮芳雄が阿久津庄治郎から賃借耕作したもので、昭和二十三年六月一日右庄治郎の相続人正二郎の所有地として買收計画が立てられ、同年七月二日農地委員会の承認を受け、耕作権者である右芳雄を買受人として同年十一月一日賣渡計画が定められ、同月十一日その旨公示され、十二月二日縣農地委員の承認を経て買收手続が完了した。故に本件選挙当時は芳雄が耕作権者であり、その耕作の経営者であつたので、原告は当該農地に対しては、單なる労務の提供者にすぎないのであるから該委員の被選挙権者ではない。從つて被告のした裁決は相当であり、原告の本訴は理由がないと述べた。(立証省略)

三、理  由

原告が昭和二十三年十一月三十日宮城縣名取郡玉浦村農業調整委員会委員の選挙において当選したこと、「原告は一反歩以上の農地の耕作者でないから、被選挙権がない。したがつてその当選は無効である」との理由で訴外相沢米三郎から玉浦村選挙管理委員会に異議の申立をしたが却下されたこと、同人は更に被告に訴願したところ被告は右訴願を容れて主文第一項記載のような裁決をしたこと、玉浦村における農業調整委員会委員の選挙については選挙権者及び被選挙権者たるに要する耕作面積について特段の定めはなく、從つて一段歩以上の農地について耕作の業務を営む者は右選挙について選挙権、被選挙権を有することは、いずれも当事者間に爭がない。よつて、本件における唯一の爭点である本件選挙の施行された昭和二十三年十一月三十日当時において原告が果して一段歩以上の農地を耕作していたかどうかの点につき考察するに、成立に爭のない甲第一、二、四、七、十一号証、乙第七号証の一、二、証人菊地一丈の証言により成立を認めうる甲第三号証、証人大宮芳雄、菊地一丈、斎藤次郎の各証言を綜合すれば、もともと原告は農家に生れ、高等小学校を卒業して昭和十四年五月現役兵として入隊するまで生家にあつて家業に從事し、同二十年十月復員帰還後も(同十九年四月十日祖父米藏隠居に因り長兄大宮芳雄が家督相続した。)長兄方に同居して、農業の手傳に從事していたが、訴外萩野たくよと結婚して間もない同二十三年三月頃長兄方を出て、二、三粁離れた肩書地に別居独立しその際從前から生家で阿久津某から賃借耕作していた田地約四反歩のうち玉浦村大字下の郷字南間堀七十三番二の田一畝三歩の外八筆合計一反歩余を長兄から分けて貰つて原告自ら耕作することとなり、爾來右田地につき原告が主体となつて耕作の業務を営み、同二十三年度供出米割当量四斗の決定を受け、その供出を完了し、その後も引続いて右田地を耕作していることが認められる。尤も成立に爭のない乙第六号証及び前記証人大宮芳雄の証言によれば、原告は昭和二十三年度分の統制肥料の配給を受けなかつたが、同年度分の肥料配給を受けるには前年十月十一日までに申告することを要した関係上、原告は昭和二十三年度の右田地耕作に際し、その前年長兄において申告し、同人において配給された肥料の分配を受けたことが認められ、また成立に爭のない乙第八号証によると、原告に割当てられた昭和二十三年度産米の供出量四斗(前掲甲第七号証参照)の供出については長兄大宮芳雄に割当てられた供出米と一括して同人名義で所轄宮城食糧事務所の檢査を受けてその供出を完了したことが認められ、更に成立に爭のない乙第二号証、同第四、五号証によれば、本件選挙当時原告は玉浦村役場の公簿面では世帶主として取扱われていなかつたことが認められる。しかし右のような事実は、いまだ以て原告が昭和二十三年三月頃以來長兄芳雄と別居し独立して前記田地の耕作業務に從事していたとの前段認定を妨げるに足るものではない。その他被告の提出援用に係る全証拠によるも前記認定を動かすに足りない。

以上の次第であるから原告は本件選挙が行われた昭和二十三年十一月三十日当時は田一反歩以上の耕作の業務を営んでいたものであつて、玉浦村における農業調整委員会委員の選挙権および被選挙権を有したものというべきである。

されば右と反対の見解に立脚する被告委員会の裁決は失当であつて原告の本訴請求は理由があるからこれを認容すべきものとし、訴訟費用につき民事訴訟法第八十九條を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 谷本仙一郎 村木達夫 猪狩眞泰)

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